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ご挨拶
皆さん、初めまして。私たちはこの大塩八幡宮をもっと知っていただくために、このホームページを立ち上げました。
大塩八幡宮の成り立ちをご紹介します。
御由緒
第五十八代光孝天皇の御世、平安初期にあたる仁和3年(887年)8月3日、朝廷にあった紀中納言友仲朝新21歳(一説には43歳)にして仲間のねたみにより、越前国府中の南へ流罪となった。
そこで無実の罪を晴らさんとして、この社を祈願の地と定めて榊を桜井峰(背後の峰)に植え、麓に参籠所を設けて、石清水八幡宮の神明の加護を願い日夜、帰洛のことを祈るうちにまもなく祈祷のかいあって、神勅を蒙り程なく許されたのである。
時に宇多天皇の寛平元年(889年)3月、無事朝廷に復帰できたことを喜んで、早速神勅の趣を密奏するに、天皇の御霊夢に不思議とぴたりと符合されたことをことの外驚かれ、この不思議な霊験により、早速現在地に紀友仲朝臣に当宮建立の棟梁を仰せ給わり、朝廷より木工寮、内匠寮に仰せて造営費と技術、資材の援助により造営されたのである。
寛平三年(891年)八月二十日、京都石清水八幡宮を勧請して、勅使三条大納言公卿下向し、神主清原真人元政(瓜生神主の祖)他、社人同行した。
同五年八月十五日を例祭日と定め神事放生会等石清水祭祀の如く行われたという。神領は従都部郷(南条郡内)封戸三百戸、約五千石を賜った。
当国は日本海を距てて異国に近く、北夷降伏と越前国府(武生)に鎮護の為、社殿をあえて北面鎮座したという。
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